イエスの言行研究会 マタイ第2章

今回はマタイの福音書の第2章です。

ここには、旧約のミカ書の5章2節に預言されていた、「イエス・キリストの誕生の地は、ユダヤベツレヘムである。」ということが、現実として起こったということが書いてあります。

その後、ユダヤヘロデ王が、イエスに自分の王座を奪われることを恐れて、ユダヤに生まれた2才以下の男子を全員殺す命令を出したために、イエスの父のヨセフは、妻のマリアと赤ん坊のイエスを連れて、エジプトに逃れました。

その後、ヘロデ王が死にますが、ヘロデ王2世が後を継いだので、ユダヤの地にとどまることを恐れて、故郷のガリラヤのナザレの地に戻りました。

ヨセフの故郷の地がガリラヤのナザレであることは、ルカの福音書の2章4節に書いてあります。

これらのことは、天使によって、あらかじめヨセフに告げ知らされていたと、ここには書かれています。

この事により、旧約聖書の「イエスはナザレ人と呼ばれる」という預言が成就したとマタイの福音書の記述者は書いていますが、その言葉にそのまま該当する言葉は、現在、聖書とされている書物の中の、旧約聖書と言われているものの中にはその記述がありません。

これがマタイの福音書2章の内容です。

エスの話したとされる言葉が出てくるのは、次の第3章からです。

イエスの言行研究会 マタイ第1章

マタイの福音書から
その1

マタイの福音書は、ユダヤ教の知識のあるユダヤ人達に向けて書かれていると言われています。

それで、いきなりイエスの肉の祖先の系図が書かれていますが、イエスは、神の世界から人間世界に降りてきて、私達のために人の言葉で話して、神の教えをわかりやすく説きました。

それは、仏教で言えば、成仏した仏が、自分が真理を覚って迷いがなくなったからそれでよしとせず、慈悲の心を持って、迷いの中にいる人々を正しく教化するために、敢えて一つ下の位である菩薩としてこの世に現れて、人々に教えをわかりやすく説いているのと同じことです。

私の信仰的立ち位置は、キリスト教が世界最高の、唯一の教えであるというものではなく、それぞれの宗教がめざすところが、人と人の平和共存を目的としているのなら、その方法に間違いがなければ、それら全ての宗教を受け入れるという立場です。

ある意味の多神教かもしれません。

キリスト教を世界唯一最高の宗教とするキリスト教徒からは、偶像礼拝者と批判を受けるかもしれませんが、もし釈迦とイエスが出会ったら、お互いにどちらが上かという討論にはならず、きっとお互いに尊敬し合う関係を築くと思っているのです。

だから、キリスト教徒と仏教徒は、根本的なところで、きっとわかり合えるはずです。

また、キリスト教の話しに戻りますが、イエス聖霊によってみごもった存在なので、私達人間とは明らかに違う存在です。

それらのことがこの1章に書かれている内容です。

ミニネットチャーチ【光】 イエスの言行研究会

教会に行くと、聖書全てを神の言葉として学べと言われますが、聖書全てを正しく学ぶのは至難の技です。

全ての教会での教えが必ずしも、神のみこころではない場合もあります。

エスの言行を学ぶことは、聖書全体を正しく学ぶことに相当します。

パウロも、ユダヤ教徒としての旧約聖書に関する知識は相当なものでしたが、キリストゆえに、それらのものを損だと思うようになったと言っています。

キリスト教で最も大切なものは、聖書に関する神学(それは全て人間の聖書に対する解釈です)ではなく、イエスが直接私達に語りかけた言葉であり、その行動です。

それを共に学んでいきましょう。

献金や、クリスチャンからのいやがらせ等の心配もいらない、イエスのみに従う場所にしていきましょう。

クリスチャンもノンクリスチャンも自由に参加してください。

必要があれば、ネット上でのフリー聖餐も行います。

ただし、ネット上での洗礼は行いません。