キリスト教って、本当にただ信じるだけでいいの
聖書のイエスの言行についての学びは、しばらく休みます。
今回は救いの本質についてです。
救われるために必要なのは、信じることだけとよく言われる。
救いというのは、魂の救いということらしいが、魂の救いとは罪からの救いだという。
しかし、人間には、自分で自分の罪から救われる力はないという。
そこで、罪を持たない神の子であるイエスが、人間の罪を背負って、身代わりに神から罰を受けたことにより、人の罪はイエスの身代わりの犠牲により赦されたというのが、キリスト教の根本教義であり、イエスがユダヤ人によって十字架で殺された真実の意味は、神の信じられないような愛の行為である。
というのが、キリスト教の教えである。
これが信じられないと、キリスト教はわかりません。
普通では絶対に起こり得ない、正当防衛さえ愛のために拒否する行為。
それが、キリスト教の根本です。
普通の人では逆立ちしてもできない行為です。
だから、キリスト教を信じることは難しいのです。
信じるだけで、罪が許されるという誰にでも出来そうな簡単なことなのに。
しかし、本当にイエス・キリストを信じるということは、どういうことなのかということを真剣に問いかけて実行しようとするならば、それがいかに困難を極めるものかということを、いやというほど知ることになります。
人が作った教会に行くことと、イエスに従うことは、必ずしもイコールではありません。