どうしようもなく、懲りない者、その名は人間

本当にその通りだと思う。

自分も含めて。

だから、イエスさまの赦しの業が必要となる。

ただし、それは自分の罪を赦していただくためのルーツではあっても、自分の罪を許してもらうためのツールとして、それを使っているのではないという条件をクリアしている上での話だが。

ルツが、自分の都合を優先させずに、姑のナオミに仕える生活をしたように、私たちはイエスさまに仕える生活をしているでしょうか。

いつも謙虚であるように、常に我が身を振り返りたいものです。